2017年4月9日日曜日

天井の美しい朝

幸せの瞬間を思い返すと、それはいつも空間全体がとても優しくなって、カーテンや床なんかの物たちがゆったりと時間を味わっているような気がする。

公団のじいちゃん家の夜のベランダでスイカを食べながら聴こえてきた野球観戦の音と公団の夜の匂いと少しだけ混じる部屋の匂い。
いつも通るカーブで兄弟で大きくなったらどうなるんだろうと希望をもってはしゃいでた車の中のこと。
いとこのお家の1階で絵を描いてると2階から聴こえてきたピアノの音とカーテンレースから漏れる光。
親戚の古い家から見つけてきたオルゴールの小物入れの蓋を開けたとき。その音色と窓から差してた温かい太陽の光。
雨の日の給湯室の小さな窓から差し込む青い光とひっそりした壁や蛇口、やかんなど。

美しい瞬間のひとつも見逃したくなくて、窓についた水滴も夜の中に浮かぶ木の揺れ方も、嵐の前の湿った温度や家の匂いも全部吸い込みたいと思った。それはいつもひとりきりで楽しむことだった。黙っていても世界と会話できているような気分だった。
私は死んでいくんだなあと思う。いつかこの物たちの仲間に入るんだなあと思う。

それはどういうことだろうと、朝、目が覚めて天井を見ながら思った。いろんなことを思い返した。天井がなんとなく美しいなと思ったから。電気の付いてない部屋の中に入ってきた外の光だけで見える天井の色。明暗の具合い。

こんな風にこんな気持ちで天井をみていると、今は以前より生活も明るくなって、以前では考えられないくらい気持ちが安定しているので少しだけ怖くなる。いつまたとんでもなく辛いことがやってくるんだろうなあと。逆に辛いことや不安を忘れてしまうくらい心地いい日々が来たとして、大切にしていることを忘れてしまう日が来たりしないだろうかとか。

ただ、美しさはそこらじゅうにあるんだということだけは忘れたくないなと、今日の天井の美しさにいろいろ思った。


エマル



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