2017年6月14日水曜日

手と目

6月7日におじいちゃんが他界した。
おじいちゃんが肺炎で危篤と聞いて、すぐに実家に戻った。
じいちゃんに会いに行くと、苦しそうな顔をしていたけど、そこから毎日顔を出すたびに顔色が良くなって、じいちゃんは元気になってる気がした。
じいちゃんはいつもぎりぎりで死なない。冬の山で遭難したときも大丈夫だった。
病気をして倒れたときも、大丈夫だった。
じいちゃんこのまま大丈夫な奇跡の長生きの人になるのではと思った。
1週間くらい山口にいて、そろそろ戻らないといけないので関東に戻った。
関東に戻ってから亡くなったことを聞いた。電話で弟に亡くなったことを聞いた。
電話切って、死んじゃった。って言ったらなんか涙が出てきて、そのまま泣いた。仕事をしていたけど、私は泣きたくなったら電車でもデニーズでも人がいようがいなかろうが泣いてしまうので、そのまま泣いた。
隠さず堂々と泣いていると案外気づかれないものだ。少し泣いたら落ち着いた。
お葬式には出られなかった。お母さんがLINEでおじいちゃんの棺桶の写真を送ってくれた。お葬式に出られないということがとても悲しくなってきちゃって、寝ながらたくさん泣いた。私はじいちゃんがすごく好きだった。
お母さんもおばちゃんも従妹や兄弟たちもそうだろう。
みんなどんなことを思い出してるんだろうかと思った。
二人だけの空間や時間、思い出をみんな持っているんだろうし、それを思い返しているんだろう。
小さいころはずっと一緒にいたけどじいちゃんは無口なのでほとんど喋った記憶がない。
じいちゃんの膝の上と、じいちゃんがさっさと歩く後ろをついていくこととか、じいちゃんの健康サンダルの音が好きだった。
じいちゃんの手の温度。冷たい老人の手の温度。
じいちゃんがあまり動けなくなった時に、帰り際にベッドのガードに置いていた私の手を触った。びっくりした。じいちゃんの手は冷たかった。
手は冷たくて柔らかかった。じいちゃの目はまるくてずっと私を見ていた。
関東から戻ってじいちゃんの手をなるべく握った。まるい目をじっと見た。色素が薄くなった目。
じいちゃんはなにも言わなかったけど、耳が遠いからとか、喋れないとか、ぼけたとかじゃないと思う。じいちゃんは話しかけても喋らなかった。たまにしか頷かなかった。
昔からそうだった。
じいちゃんは天国へいったとか、ばあちゃんのところにいったとか、そういうことは全くもって思わない。じいちゃんの痕跡は私の頭の中にある記憶とこの体があることだ。

エマル


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