2015年7月4日土曜日

記憶はどこにあるのですか


ひとつの言葉がきっかけで、なんとも思っていなかった言葉たちが全部一致団結して、デモ起こすみたいな感じで突然のフラッシュバック。以前20を過ぎた弟が大量に薬を飲んで手首を切った時、どうして切ったのと聞くと中学生の時におじいちゃんに嫌いと言われたからといった。それからしばらくおじいちゃんに弟は会おうとしなかった。その時私はよく分からなかったけど、フラッシュバックだったんだなと思って、フラッシュバックしてバッドになる時は弟のその言葉も一緒に思い出す。もう頭では処理したつもりのことも記憶として収納されているから忘れたりしない。ある時にそれはまた蘇ったりするもの。でもこの突然の感じ。そして一切の経緯は消えてテキストだけが切り取られている感じ。そして調子のいい時はこれらを一切思い出せなくなる。なんだろう頭は勝手なことばかり。

川上未映子さんの水瓶、発光地帯を久しぶりにぱらぱらと読んだ。
そしたら絶望的な気分が少しだけ緩和されていった。
というか、なんてきれいな言葉なんだろう。眺めているだけで幸福な気持ちになった。
私はやっぱり本や言葉がすきだ。話すのも書くのも下手だし、なにひとつ理解していないかもしれないけれど。

楽しいことをすること、贅沢なことを堪能すること、お料理やさんで高価なものを頼むことが上手にできない。
それは震災が起きたときに自粛モードになったのと同じで、楽しいと思った瞬間に弟やお母さんのことを思い出して、悪いことしてる気分になる。
それはポイント制で、たくさん積みあがると罪悪感でいっぱいになる。
子どもの頃に全然思いやりがなかったことを思い出して罪悪感がわく。
映画の中で優しいお兄さんが出てきては昔の自分の弟たちへの態度に罪悪感がわく。
弟やお母さんには自分自身の幸せのために楽しく過ごして欲しいと思いつつ、私は遠いところで、自分のしたいようにしてて、置き去りにしている感じも否めなくてなんだかな。

大体のことはみんなきっと忘れない。
覚えてるんだろうな。
でもどこに保存されてるんやろう。

エマル




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